このコラムを書くため、社長室のデスクに陣取ったのは、11月第4火曜日の夕方。
「さて、何を書こうか・・・。」
この件(くだり)は私にとっては、よくあるパターンである。
「何か、ネタになるものはないかなぁ・・・。」
わたしは腰かけたばかりの「社長の椅子」から立ち上がり、ふらふらと部屋の外へ出ると、そのまま階段を降りて行った。
2階の事務所でキョキョロしていると、『社長、ちょうど良かったです。たった今、社長室へ行こうと思っていたところでした!』
スタッフのイケダさんが、満面に笑みを浮かべてそう言った。
彼女の手には、分厚い紙の束が持たれている。
『第13回もちつき大会』と書かれている来場予約はがき付きのパンフレットだった。
ダイキョーは正月に、もちつき大会を開催するのが恒例となっていた。
コロナ禍の期間は休んだが、1回目から数えれば、15年が経つ。
そのキッカケは、このコラムにも登場したことがある『半田んち』。
今年で97歳と94歳になる伯父夫婦の家である。
・・・50年前の12月30日。
47歳の伯父・章一と44歳の伯母・政子が息の合ったもちつきを披露している。
そこには、母・シゲ子に連れられた11歳の私と8歳の弟の姿を見ることが出来る。
『父ちゃんが若いころは、一人で16臼をついたんだヨ!』
伯母は臼の脇で餅をひっくり返しながら、伯父のかつての記録を嬉しそうに話している。
そして、彼女の十八番(おはこ)の台詞が飛び出すのである。
『もちをつく力は、親はくれねぇって、昔から言うんだよ。』
伯父・章一は自ら憶え、体を鍛え、工夫を重ねた末に、16臼の技を身に付けた。
ちなみに私などは、未だに一人で1臼もつけない。
それでも、伯父が80歳を超えたころ、半田んちに伝わった臼と杵を私が譲り受けたのである。
・・・『ここに30枚あります!』『お友達を大勢呼んできてください!』『足りなければ、追加します!』
イケダさんはパンフレットを手渡しながら、笑顔で私に畳み掛けた。
もちつき大会は、令和7年1月5日午前10時にスタートする。