このコラムを書き始めたのは彼岸の入りとなった9月第3木曜日早朝、新潟県燕三条駅前のホテルの一室である。
私を含めたゴルフ仲間4名は前日早朝に三国峠を越え、日本海を臨むゴルフ場で1ラウンドした。
そこは5月の終わりに女子プロゴルフのトーナメントが開催された難関コースである。
ゴルフ歴だけでも、彼女たちの年齢を20年近く上回る私だが、スコアの方も彼女たちに比べて20打ほど多く打つ。
ご存じだと思うが、ゴルフは打数が少ないほど上手いのである。
それはさておき。
今月は、私が泊まった地に関係する話をしたいと思う。
駅名に使われている『燕三条』はよく耳にするフレーズだが、これは正式な地名ではない。
隣接する燕市と三条市の関係から生まれた呼び名だそうだ。
この二つの地域は、江戸時代から続く因縁があり、あまり仲良しとは言えない間柄だったようである。
その関係が表面化したのが、上越新幹線。
停車駅が計画された場所は、ちょうど両市の境辺り。
駅の所在地をどちらにするかで、両市共に一歩も引かずの状態になってしまった。
そこで登場したのが、新潟の英雄『田中角栄元首相』。
所在地は三条市。
その代わりに駅名は燕市を立てて『燕三条』にしたのである。
折衷案は、もうひとつあって、それは関越自動車道。
やはり両市の境にインターチェンジを設けることになった。
今度は、所在地を燕市にしてインターチェンジ名は『三条燕』。
『まあ、これで何とか収めてくれないかね。』
角栄さんがそう言ったかは定かでないが、この駅前に一泊して、そんなエピソードを知ることが出来た。
そして、(是非とも三条燕インターチェンジから関越自動車道に乗ってほしいな)と、運転担当でない私は、帰りの荷造りをしながら密かに思ったのである。