『早く切らないと、おとなりにハミ出しちゃうよ!』
春が過ぎ、初夏の日差しが強くなった頃から、わが家の実力者が騒ぎ始めた。
彼女が気を揉んでいるのは、新緑の葉をつけた柿の枝木で、『おとなり』は30年を超えるつき合いのM家である。
柿の木を植えたのは私の母親で、当時の苗木は鉢に納まるサイズだった。
その後、『早く実を付けないと伐っちゃうよ!』という彼女独特の激励を受けながら、幹の直径20センチメートルの大木に育った。
実力者からの要請に応えることが出来たのは6月第5土曜日。
自分で言うのも何だが、この月は公私ともに忙しかったのである。
それは、さておき。
件(くだん)の枝は、横方向は両家の境界を越え、縦方向は2階の屋根に届かんばかりの勢いだった。
柿の木にしてみれば、より良い場所に実を付けるために精一杯の働きをした結果なのだが、人間には隣近所との『つき合い』があり、柿の木の好にさせておくわけにはいかない。
「枝切りをする前に、おとなりにあいさつに行ってくるよ。」
長袖のラガーシャツと黒のジーンズに野球帽。
やや季節外れの姿で玄関先に立つ私を見て、M夫人は、『どうされましたか?』と、少し驚いた表情でこちらを見た。
「柿の枝木が伸びすぎてしまったので切りたいのですが、脚立(きゃたつ)を持って少しの間、お庭に入らせてもらってもいいですか。」
『あら、そんな気になさらなくてもいいのに。』
夫人は、右手を顔の前で小さく振りながら、笑顔で言った。
「いや、もっと早くにと思っていたのですが、今になってしまって、すみません。」
一礼した私は、『では、お気をつけて。』という夫人の言葉を受け取り、M邸を後にした。
作業が始まるや、次々に送られる実力者の指示により、私はノコギリを手に躍動した。
我ながら手早く出来たと自画自賛したが、それには訳があった。
このあと、出身中学の同窓会が予定されていたのである。
「思えば、俺の役目のほとんどは『つき合い』なんだなぁ。」
はみ出した枝木を切りながら、脚立の上で私はつぶやいた。