11月第二日曜日の所沢市斎場。
株式会社ウチノ・内野徳治会長の通夜が執り行われた。
・・・これより6日前。
一本の電話が私のスマホに入った。
『所沢のウチノです・・・。』
それは、よく知る名前だったが、聴き慣れたガラガラ声とは違う、若い男性の声だった。
(んっ、もしや?)と思いながらも、「はい、お世話になります。」と応じる私に、『実は、父が亡くなりまして・・・。』と、電話の主は静かに言った。
嫌な予感が当たった。
社長職を子息に譲ってからは、畑仕事と酒を楽しむ悠々自適な生活の中、季節の作物を送ってくれたりしていたが、ここ一年ほどは、それも途絶えて、(あれ、どうしているかな)と思っていた矢先のことだった。
・・・『今朝タケノコを掘ったからよぉ、宅急便で送ったよ。』
『いや、今年の里芋はよぉ、我ながら出来がいいよ・・・大きいやつは蒸して、豆板醤を混ぜた味噌なんかをつけると・・・焼酎に合うよ。』
『一緒に送ったエシャロットはよぉ・・・お口汚しにどうぞ。』
・・・彼が起業したのは20代前半。
本人は多くを語らなかったが、「卓越したパワーと商才に加え、ユーモアあふれる人間性で、現在の地位を築いた。」という私の見立ては、そう外れてはいないだろう。
強面(こわもて)でべらんめぇ調、それでいておしゃれで心優しく、私は「所沢のアニキ」と慕っていたが、通夜会場に並ぶ生花や読み上げられた弔電、参列者の顔ぶれを見渡すと、『所沢のドン』といった方が相応しく思えた。
74歳は少し早い気もするが、常人とは比べられない濃密な時間を駆け抜けたに違いない。
私との付き合いは10年余りだったが、一緒にゴルフも行き、家族が集まる酒の席や子息の結婚式にも呼んでもらった。
ときどき酔っぱらって電話をかけてきて、1時間も相手をさせられて懲りたこともあったが、やはり大好きなアニキだった。
・・・『ああ、社長・・・ウチノです。』
あの長電話は、もう出来ない。