9月の半ばを過ぎても尚、暑さが収まらず、(いったい、今年の夏はいつまで続くのだ!)と、私は、心の中で叫んでいた。
このままでは半袖・短パンでゴルフをする私の手足はまだまだ黒くなるばかりである。
それは、さておき。
以前に読んだ時代小説の中で、上野(こうずけ)と呼ばれた頃の群馬の気候を『この地は500年の昔から、夏が終わるとすぐに冬の声が聞こえてくるというような、秋の短い風土であった。』と形容していたが、最近はその傾向に気温の上昇が重なっている。
先日、プレーしたゴルフ場ではフェアウェーの土が剝き出しになっていた。
50年前に県北部の山間(やまあい)に開場し、洋芝が敷き詰められたフェアウェーは冬でも青く、美しいコースだった。
洋芝は暑さに弱いことは知られているが、当時のここは今よりずっと涼しかったのであろう。
それが半世紀を過ぎた今年の夏、とうとう芝が溶けてしまったのだ。
わが家の庭にある柿の木は、未だ青々とした葉を一枚も落とさずに茂らせているが、よく見るとその実は、ほんのりと色づき始めている。
既に夏と秋が同居しているのだ。
異変は、群馬だけではない。
北海道では、鮭の漁獲量が減り、代わりに鰤(ぶり)のそれが増えているとテレビのニュースが取り上げていたが、ここではこの魚は馴染みが薄く、あまり高く売れないのだという。
サケ漁で生計を立ててきた地元の漁師が、浮かぬ顔でインタビューに答えていた。
しかし、である。
今年の夏のように終わらない話を長々と述べている内、彼岸の明けと共に雨が降り出し、気温を10度も降下させた。
すると、サンマ漁も昨年より大幅に増えたというニュースが入ってきた。
『この時期はねぇ、一雨ごとに涼しくなるんだよ。』
30年前に柿の木を植えた亡き母のセリフが甦(よみがえ)り、ハッとした。
悪いことばかりを考えていても、埒(らち)が明かないのである。
『暑さ寒さも彼岸まで。』
私は、昔の人が言った良い言葉で10月をスタートさせることにした。