今年最初の第3日曜日は1月15日。
私の時代、この日は『成人式』と相場が決まっていたが、最近はコラムの締切日に変わったようである。
それはさておき。
以前にも話したことがあるが、私は毎日「食べ物日記」を付けている。
字を書くことは意外と好きな質(たち)で、日記はかなり若い時分からつけていた記憶がある。
嬉しかったことや悲しかったこと、思いのままに、その時の心情を綴っていたはずだ。
しかし、大人になったある日、過去に付けた日記帳を読み返してハッとした。
(もし、これを人に読まれでもしたら、恥ずかしくて生きた心地がしない。)
このことである。
私は密かに日記帳の束をすべて燃やした。
それがトラウマとなり、日記には、しばらく縁が無かったが、ある年の暮れ。
私が好きな『鬼平犯科帳』の原作者が書いたエッセイを読んだ。
彼は、毎日食べた物を日記に付けているのだという。
(これだ!)と私は思った。
私は読みかけの本をそのままに、すぐさま書店へ向かい、彼が愛用していたものと同じ3年連記の日記帳を購入したのである。
それは、わが家の実力者がアイドルグループ『嵐』のグッズを購入するときの嬉々とした姿に似ていたかもしれない。
その名の通り、主に毎日食べたものを中心に、食べた場所、会食であれば一緒にいた人達の名前も記録し始めた。
その時の思いとかは一切書くことは無いが、私が読み返すと不思議とそのシーンが甦る。
しかし他人には献立表にしか見えないので、誰かに読まれても心配がないのである。
内心(すぐに飽きるだろう。)と自分を疑っていたが、38歳で始めてから21年が経過し、昨年の大晦日で7冊目が書き終わった。
新しい日記帳は、一番好きな色であるイエローのカバーを選んだ。
書くことが出来ない私の思いを知っている「食べ物日記」。
(これからも、よろしく頼む。)
心の中で、私は手を合わせた。