5月第2金曜日14時30分。
前日に誕生日を迎えた私は、わが家の実力者を伴い、西に向けて400キロのドライブに出発した。
目的地は、愛知県西尾市吉良町。
あの忠臣蔵の敵役である『吉良上野介』の領地だったところである。
そんなつもりではなかったが、周りからは『還暦旅行』と揶揄された。
実際、現地でラウンドしたゴルフ場では『還暦で過ごす1年間は、プレー料金がメンバー扱いとなります。』と案内され、その年齢を実感した。
それはさておき。
・・・60年前の5月11日。
私は有り難くもこの世に生を受けた。
『お前の出産予定日は4月20日だったんだよ。』
『だけど、へその緒が首に巻き付いていたとかで、2週間以上経っても一向に出てこないもんだから結局、私のお腹を切ることになってさ。』
『お父さんなんか、あたしが死んじゃうんじゃないかって心配して、お前が生まれたときには、男泣きしたそうだよ。』
私が子供の時分、近所の悪ガキに泣かされて帰ってきた時に、『泣いて帰ってくるやつがあるか、もう一回行って来い!』と一括した怖い父親・宗三郎からは想像できないエピソードである。
『そうやって周りを散々心配させて生まれてきたんだから、お前はいつも感謝の気持ちを忘れちゃいけないよ!』
この件(くだり)は、私の誕生日になると生前の母が必ず語った十八番(おはこ)である。
彼女が言うように、周りを騒がせながら生まれてきた私だったが、すくすくと育った後は大きな病気もせず、未だに体は元気で、この点は先祖と両親に感謝するばかりである。
・・・出発してから3時間半後の18時00分。
勇士会定例会議に出席するため、東名高速道路・掛川パーキングに車を止めた。
オンラインで会議に参加した後、再びハンドルを握った60歳と1日の私は、残り100キロの道のりを元気よく走りだした。