2012/06/01
その他
記憶
先月、私の40代最後の1年がスタートしました。以前は多少自信があった記憶力も、今では「用事があって3階の社長室から階段を下りたものの、2階に着くまでに用件を忘れ、仕方なく上に戻ると思い出し、また下りて行く」というレベルです。記憶力と言えば、人間は一般的に4歳くらいの事から覚えているのだそうですが、今回は、それに関係したお話です。
この季節、あたりの田んぼを見渡すと、あちこちで田植えの準備が始まっていて、その脇には水路が流れています。さて、私の記憶はこの場所から始まります。その頃の水路はほとんどが『素掘り』と呼ばれるもので、そのヌルっとした泥底に素足で入ると、堀の側面に生えた草は水面にまで垂れ下がり、かがんだ子供の目には、ちょっと気味の悪い景色が広がっていました。45年前の6月、この堀の中に麦わら帽をかぶった親子の姿を見る事が出来ます。父親の手には『ガチャ』と呼ばれる竿が持たれていて、これは直径3センチ、長さ2メートルの竹の先に音の出る金具をつけたものでした。この竿を上下に振ると竹の先で金具がガチャガチャと鳴るのでこの名がついたようです。息子は父親から数メートル離れた下流で目の細かい筒状の金網を泥底に抑えつけるようにまたがっています。
この金網は入口があって出口がない構造です。父親が作業を始め、『ガチャ』で堀の底に音を立てながら、息子が待つ下流までたどり着きそれは終わります。そして父親が金網の口を上に向けて持ちあげると、筒の底には数え切れないほどのドジョウが踊っているのです。
息子は4歳の私で父親は当時35歳、『お菓子職人の宗さん』です。お昼になって大漁に気を良くした麦わら帽が並んで堀脇に腰かけ、母親手製のおにぎりをほおばっている光景が、私の記憶の最前列のひとつなのです。