2012/02/01
その他
ちょうど一年。
1月9日、前橋初市祭りは暖かな一日だった。今年は10年ぶりに、(少し風邪気味だったせいもあるが)昼間の市に出かけてみた。例年の通り国道50号は通行止めとなり、広い道路もたくさんの人で、すき間もない程のにぎわいだった。別名をだるま市とも言うだけあって、祭りの主役は『だるまさん』である。歩行者専用となった道の南側には、数百メートルに渡り、縁起だるまの屋台が並んでいた。
昨年はある理由から、賑やかな場所に出掛けるのを控えていたが、人ごみに揉まれるうち、ふと思い出した場所があった。私の母親が元気な頃、近所の仲良しと東京新宿までお守りを求めに行った穴八幡宮である。ここは全国的にも有名な『お金の御利益』がある神社で、わが富士見町にも『信者』が多かったらしく、交通手段はなんと穴八幡宮ツアーの貸切りバスだった。
『一陽来復』と書かれたお守りが冬至の日から翌年2月の節分まで売られており、これを家の中に貼るのが彼女の楽しみだった。ただし、お守りを貼る日、方角や場所は定められていて、それが出来るのは、冬至、大晦日、2月の節分で、時間も夜中の12時と決まっていた。場所は、壁のいちばん高い位置で方角はその年によって違っていたと記憶している。その日は、ダイニングから椅子を持ち出し、あらかじめ磁石を使って方角を確かめておいてから、約束の時間を待つのである。お守りは、『時計の針が地面と垂直に重なるその瞬間に貼る』以外、御利益なしと彼女は言い張るので、うたた寝もトイレタイムも許されない、緊張の時間帯がそこに生まれた。その時の光景は、息子が椅子の上に立ち、嫁が椅子を押さえ、その下で母親がこう指図をするのである。
『和男、もうチョット右、あれもうチョイ左か、うーん、はい、いいよ。』
その声が聞かれなくなってから、今月一日でちょうど1年が過ぎた。