2023/05/01
その他
『大食い女王・魔女菅原』
3月21日の午後。
私は、社長室でこの原稿を書きながら、一枚の色紙を眺めていた。
この3日前の早朝、『魔女菅原死去』のニュースが流れた。
2000年代、大食い女王としてテレビで活躍し、その圧倒的な強さにより、殿堂入りを果たした伝説のフードファイターである。
大腸ガンだったという。
生前の彼女を偲び、その思い出を辿ってみた。
・・・人気絶頂の中、2010年の『大大大好きダイキョー祭り』にはメインゲストとして登場してもらい、
僅か10分の間に想像を絶する数のショートケーキを平らげ、満員の会場をどよめかせた。
抜群の知名度と、その圧倒的な食べっぷりのおかげで、来場者は1000名を超え、祭りを大成功へと導いてくれた。
表に現れるパフォーマンスはもちろんのこと、同様に驚かされたのは、その内面を支配するプロ意識である。
大食いのステージは2日間に渡って行われたが、1日目が終わった後の夕食に私も同席した。
『明日のためにショッパイものを食べておきます。』
「それは、なぜですか?」と聞く私に、彼女はこう答えた。
『今夜のうちに脳の中をショッパクしておくと、明日、甘いものを脳が欲するんです。』
『1日目より2日目の成績が悪いと、お客さんもガッカリしますから。』
最高の結果を出すための取り組みと準備は緻密であり入念で、彼女にとってフードファイトは、いつも真剣勝負なのであった。
その言葉通り、初日を上回る89個の記録を2日目に達成した。
プロゴルファーのライセンスを持つ私の相棒、イワサキ副社長には、相通ずるものがあったのであろう、
『菅原さんは、本当のプロですね。』と言ったのが印象的だった。
・・・色紙には、『為せば成る 菅原初代』と書かれている。
59歳はもちろん早すぎるが、彼女のことであるから全力を出し切ったのであろう。
私は棚に戻した色紙に向かい手を合わせ、敬意を込めて黙とうした。